ノーザンレイク以前の私…厩務員だった頃 その1
7月5日にアップした 『最近の出来事 昔の仕事 ~ノーザンレイク以前の私 序章~』 に続いて、競走馬の世話をする『厩務員』だった頃の話を書いてみたい。
厩務員の朝は早い。馬の糞尿の処理をしたり、馬体の手入れをしたり、人間に例えれば看護師みたいな仕事だ。
そのため、時間が不規則になりがちだ。馬は口がきけないので、五感を研ぎ澄ませて、すべてを感じてあげなくてはならない。
馬が好きな人には、おもしろい仕事だろうけど、そうではない人には苦痛になることも多いだろう。
しかし、ひとたび担当の馬がレースに出走すると、最下位だろうと各厩務員に7000円程度のお金が保障されている。
大きなレースに勝てば、日頃の苦労労など吹き飛んでしまうほどの大金が転がりこんでくることもある。その味をしめると、なかなか辞められるものではない。
実際に僕も、約27年間に渡ってこの仕事を続けてきた。
JRAの厩務員になる前は、牧場に勤務していた。
厩務員に比べて、牧場の給料は安い。レースで上位に来た馬の生産牧場に生産者賞という名目で賞金が出るが、それが分配されたとしても、厩務員に比べれば待遇は格段に悪い。
それでも皆、朝から晩まで真っ黒になって働いた。
自分たちが育てた馬たちが、ダービーやオークスなどビッグレースを勝つことを夢見ながら。
僕が生まれたのは、北海道の新冠郡新冠町だ。
競走馬の生産牧場が数多くある地域で、生家のすぐそばにも牧場があった。
だが、僕の家は農業を営んでいたこともあり、子供の頃は馬には全く興味がなく、もっぱら近くの川で釣りに興じていた。
勉強が嫌いな上に背が小さかったので、競馬好きだった父が騎手になったらどうかと道を示してくれた。
当時、東京世田谷の馬事公苑で行っていた騎手を養成する長期講習制度を受験したが、残念ながら不合格。
とりあえず中学を卒業するとすぐに、実家の目の前にあった明和牧場に就職をした。
それが馬との出会いであり、厩務員という仕事への第一歩となったのだった。
・・・次回につづく
厩務員の朝は早い。馬の糞尿の処理をしたり、馬体の手入れをしたり、人間に例えれば看護師みたいな仕事だ。
そのため、時間が不規則になりがちだ。馬は口がきけないので、五感を研ぎ澄ませて、すべてを感じてあげなくてはならない。
馬が好きな人には、おもしろい仕事だろうけど、そうではない人には苦痛になることも多いだろう。
しかし、ひとたび担当の馬がレースに出走すると、最下位だろうと各厩務員に7000円程度のお金が保障されている。
大きなレースに勝てば、日頃の苦労労など吹き飛んでしまうほどの大金が転がりこんでくることもある。その味をしめると、なかなか辞められるものではない。
実際に僕も、約27年間に渡ってこの仕事を続けてきた。
JRAの厩務員になる前は、牧場に勤務していた。
厩務員に比べて、牧場の給料は安い。レースで上位に来た馬の生産牧場に生産者賞という名目で賞金が出るが、それが分配されたとしても、厩務員に比べれば待遇は格段に悪い。
それでも皆、朝から晩まで真っ黒になって働いた。
自分たちが育てた馬たちが、ダービーやオークスなどビッグレースを勝つことを夢見ながら。
僕が生まれたのは、北海道の新冠郡新冠町だ。
競走馬の生産牧場が数多くある地域で、生家のすぐそばにも牧場があった。
だが、僕の家は農業を営んでいたこともあり、子供の頃は馬には全く興味がなく、もっぱら近くの川で釣りに興じていた。
勉強が嫌いな上に背が小さかったので、競馬好きだった父が騎手になったらどうかと道を示してくれた。
当時、東京世田谷の馬事公苑で行っていた騎手を養成する長期講習制度を受験したが、残念ながら不合格。
とりあえず中学を卒業するとすぐに、実家の目の前にあった明和牧場に就職をした。
それが馬との出会いであり、厩務員という仕事への第一歩となったのだった。
・・・次回につづく
スポンサーサイト